MONSTER DVD-BOX Chapter 5

MONSTER DVD-BOX Chapter 5

最終回です。
超大作でした…。おもしろかったけど、イマイチ良くわかんなかった。特に双子のこと。あたしの理解力が
足りないのだと思う。
原作を読むか、もう一度見直せばだいぶ違うと思うんだけど。
おもしろいのは確かなので。
人の強さ、弱さ、それをコントロールするちから、人の繋がりと広がり、そういったものを考えさせられました。


昨日の「ジェネジャン」。
とにかくCMが入り過ぎ!関係ないのに、スポンサーさえ恨んでしまいそうなくらい入ってたよ…。ウザかった。
今回のはちょっと濃度が薄かったっぽい?
あたしには、頭の良い人の考えてることは到底わからない。
ていうか、自分の考えてることが疑いなくパーフェクトであると考えているという事に、理解が及ばない。
どんなことも理詰めで論破してしまうのだろう。
人の感じがしなかった。
あと、東大卒の作家の男性が、故人の著書を読んでなかったり、葬儀に出なかったからといって、
故人のことを忘れてないだなんて嘘だ、と言って責めていたけど、それは違うと思う。
もちろん読んでいればその人への理解を深めることができると思うけど、著書を読んでるか、読んでないか
という基準で友情の重さは計れないと思う。
葬儀だって、あくまでも儀式だ。葬儀に出て、そのままの人と、葬儀に出なかったけど、毎日故人を想っている
のと、どちらが故人のためになっているか。
前者も後者も、表面上のただそれだけでは何もわからない。言えない。
日本で有数の最高学府を卒業した大人(35くらい?)が、そんな事を言ってるのにびっくりした。
しかも作家なのに。
「すること」と「想うこと」は全く違う次元のことだ。
そして実は「すること」より、「想うこと」の方が地道で長い道のりなのだ。
目に見えないだけに。
「した」から「想ってる」じゃない、「想う」の延長として「すること」が有りたい。
そう思った。
あたしは、嫌いな人が居る。憎いと思う人が居る。恨んでる人も居る。
だけど、その人が死んでしまっても、そう思ってることがそれでも続くのかと言ったら、続かないと思う。
死んでしまってもなお、その人に対する負の感情が続くほど、想いが強くないことに気付いた。
何だ、そんなもんなんだぁって。
ていうかむしろ、そんな風に想っててごめんね、って思うと思う。
あたしの憎しみや恨みなんて、そんな程度なんだ。今更だけど。
そう思ったら、何てことなくなった。
別に特別何かあった訳じゃないけど、色んなことを考えてたら、そうなりました(笑)。


でもほんと、人生の最後の最後=お葬式の時に、その人の本当の人格とか人徳とかがわかりますよ。
何かそういう、雰囲気があるんですよね。
もしあたしが死んで、腹の中でほくそ笑むような人が居たなら、それはあたしの人生が「失敗」だった、
っていうことだよね。
それだけは絶対絶対イヤなのです。