良い国の王の良いことば

3月になりましたね!
3月は大好きです。


すみません、眠たくて…。
最近、『十二国記』のDVD観てます。
前にNHKでやってましたよね。
あたし、偶然観たことがあって、とびとびだけどほんの少し観たことがありました。
ほんとにほんの少しだったけど、すごく惹かれました。
内容とか、設定とかほんとわからなかったんだけど、葛藤とかそういうのにすごく惹かれました。
今は『風の万里 黎明の空』なんだけど、なんだか見覚えがあるので、放送当時にちょこっと観たのは
このあたりみたい。


この物語の主人公の陽子、あとはジブリの『千と千尋の神隠し』の千尋もそうなんだけど、突然何だか
わからないところに放り込まれて、すごく大変なのに一生懸命頑張って、迷いながらも自分の居場所を
見つけようとし、役目を全うしようとしている。
それがすごい。
あたしは生まれた場所でのほほんとしている。
ここがどんな世界かわかっているのに、どうしたら良いのかわからない。


すみません、眠たくて。
十二国記』でぐっときたことばを今日は書きます。


第二十四話、王として迷う陽子に隣国の延王が言ったことば。
「民は迷う君主を信じはしない。
 統治に苦しむ王を『正直だ』などと誉める官も居ない。
 その姿を見せてはならぬ。
 迷っている時は『吟味している』と言え。」


第二十七話、才国を出る鈴という少女に采王が言ったことば。
「これだけは覚えておきなさい。
 生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。
 人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく
 ただその人が幸せであろうとしたからなのです。
 苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、
 それだけが人を真に幸せにするのですよ。」


いちばんめのことばは、何かもうどーんと構えてればいいんだってことだよね、って思った。
ハッタリも必要だと。
ハッタリといえばあたしの十八番だったはずなんだけど(笑)、いつの間にか強気の姿勢もハッタリも
そんなに使わなくなった。
最近思うのだけど、ぷりぷり怒って次の日にはけろっとしてたり、とにかく一生懸命やってた頃の方が
色々上手くいってた気がする。
人に大らかであること、許すことを良しとすること、それはとても素晴らしく、そして難しい。
でもあたしの本来のスタイルと乖離しているのではないかと、思うようになっている。
もう少し、気ままに、ほどよい加減でやってみようかと思う。


にばんめのことばは、何もしないで幸せにはなれない、辛いことから逃げてもそれは幸せになったとは
言えない、っていうことかなと思った。
逃げてはいけない、と思った。
幸せに対しても、苦痛に対しても、真正面から向かっていかないと。
幸せに対しては真正面でも、辛いことには目をそむけていては、それは本当の幸せではないと。


十二国記』ってジャンルとしてはラノベらしいのだけど、深いよね。
活字でも面白いのかしら。
漫画でおこしてくれたら全巻揃えるのに。
って活字も読まないとね。
何かね、この時期に『十二国記』を知ることに、すごく意味があるような気がしてならないのです。