いつか僕を思い出して


昨晩観た『プロフェッショナル』(これも前に観たことあるんだよね…)。
過疎地区でお医者さんをしている人。
こんな話をしていました。


自分の得意分野だったにも関わらず、病気を見逃してしまった。
医者を辞めようかと本気で思ったそう。
それでも、患者さんに「よくあることだよ。」と励まされたお話。


病気の人に「桜を見ようね」と言っていたのに、何だかんだで延ばし延ばしにしていたら、ある日危篤に。
咲き出した桜の枝をポキリと折って、急行した。
奥さんが「ほら!先生が桜持ってきてくれたよ!見て見て!」と意識の無い旦那さんに言ったけど、
そのままお亡くなりに。
何でもっと早く桜を見せてあげなかったんだろう。何でもできたはずなのに…と思っていると奥さんから
「桜、間に合ったよ。良かった。ありがとう。」との言葉。


2番目のお話はもう聞いてて号泣だったけど…。
こんな良い話してたよ、って言いたいのではなくて。


この先生はこのとき「お互いさまの心」とか「助け合いの精神」みたいなことを言っていた。
どちらのケースでも、患者さんや故人の家族は優しい言葉をかけてくれて、彼ら彼女らは本当に先生を
許してくれたのかも知れない。
でも、ここからはあたしの想像だけど、先生は許してもらったなんてこれっぽっちも思っていないと思う。
「いいよ」って言われたからって許してもらえたなんて、きっと思ってない。


本当は許してもらっているかも知れないけど、許してもらってないと思うことで、こころはスパイラル状に
なるんじゃないかってあたしは思う。
「いいよ、許すよ。」「うん、ありがとう。」だと、それで終わっちゃうんじゃないかしら。
すまないと思ったこころ、自分も相手にも悲しい思いをさせてしまった気持ちを、「許してもらった」と
思うことで、忘れてしまうのではないかしら。
先生はお医者さんになるくらい賢いので、忘れてしまうことはないだろうと思うけど。


荷物はできるだけ少ないほうが良いよね。
でも、重い荷物を持っていないと、その存在すら忘れてしまうこともいっぱいある。
特にあたしは忘れっぽいし。
重い物をひたすらに持つ必要は決して無いと思うけど、自ら重荷を背負う、矢鱈身軽にしない、ということも
時には必要なのではないかしら。
嫌なことを何でもかんでもすぱすぱ忘れるのはどうかと思う。
先生は、自分が体験した失敗や後悔の念を忘れずにいることで、優しさや思いやりのスパイラルをつくり続け
てるなって、観ていて思ったことです。