guilty

今日は、色んなニュースがありました。
1.浅間山がまた噴火
2.幼い兄弟の事件
3.死刑


特に、3。
こいつ、死にたいけど、自分で死ぬ勇気がないから、事件を起こして、他人に殺してもらおう(死刑にしてもらおう)
と思ってたんでしょ?
それじゃ、死刑にしたんじゃ、やつの思うツボでは?と思うのですけど、どうでしょう?
あたし、本当に意味での『極刑』って、『そいつが一番されたくないこと』だと思うんですけど。
単純な例だと、死にたいと思っているなら生を、生きたいと思っているなら死を、という感じで。
したいことをして(事件を起こして)、自分の手を使うことなく殺してもらえて(死刑)、あんな不条理で
身勝手な罪を犯したモノが、そんな希望通りの生き道で良いのか?と思うわけです。
生かしておいたら良いと思う。ただ、生かしておくだけ。
希望の元になるから、作業などはさせない。本も読ませない。絵も書かせない。
健康のための最低限の歩行くらいはさせる。
子どもたちが不条理に死んでいったのに対し、意味もなくただ生かしておくだけ。
希望を全て切り捨てられてなお、生きるのを強要されたとき、それでも何かしら希望に代わるものを探すだろうか?
人のカタチが壊れるだけだろうか?
しかし、それだけの罪を犯したのだから。
ただ、死を「希望」だと思って、自ら死を選ぶ者が後を絶たないのなら、死は万人に対しての「恐怖」ではないはず。
ここで単純に語れるほど簡単な問題でないのはわかっているけど、必ずしも死刑が最も重い罰だとは、
あたしは思えない。


あたしは、こいつみたいに、自分の不幸を他人のせいにして、他人を拒絶なんてしたくない。
他人とわかり合える事なんて永遠にないけど、それでもわかり合おうとするところが人間の優しさだと思う。
あたしは優しくなんかないけど、わかり合おうと努力したい。そうやって生きたい。