この手を離せばもう 逢えないよ

高崎市の殺人事件、実は少し近いとこです(車で10分くらい)。
昨日、昼間車で17号を通っていたら、城南球場を過ぎてすぐの横道が通行止めになってて、おまわりさんが7〜8人も
居た。
信号待ちしてたからずっと見てたんだけど、普通事故とかだったら通行止めまでしないし(ポールみたいなので完全に
通れないようになってた)、第一おまわりさんの数が尋常じゃないでしょ!
「何かあったのかなあ?殺人か?」とかって思ったけど、小学校の近くだったから、そこで何かあったのかと思ったよ。
今日、友達のおばさんが遊びに来てその話になったので聞いたら、その通行止めになってた道を上りあげたところの
アパートだそうだ。やっぱり〜。
痴情絡みの殺人って多いですよね。そこまで人を狂わしてしまうものなのか…。
あたしはもっと穏やかな恋愛がしたいです…。こころが強くないので…。


そうそう、この間の続きをしましょうか。
あたしが最近思っていること。
人とのつながり、自分の世界と外の世界。そんなこと。
太宰治(多分)が、「この世界は芝居の書き割りだ」というようなことを何かの作品で書いていた。
芝居の書き割りとは、舞台などで使う、背景のことだそうです。
こちら側から見ると、ちゃんと風景ですよね。だけど裏側から見ると、ベニヤの大道具なのです。
だけど人間の目は、そのものの裏側まで見えるようにできていない。
だから、結局自分からは「ちゃんと風景」の書き割りしか見る事が出来ないのです。永遠に。
裏側に見に行っても、裏側だったものが今度は「こちら側」になってしまうので、『本当の』裏側って絶対に見られ
ないんです。
あたしはこのことに気付いてから、「どうにかして書き割りの裏側を見ることは出来ないものか」って考えるように
なりました。
(美術の資料集の表紙のピカソの絵がすごいって思うようになったのも、この頃からです。中学生あたりの頃
かなぁ??)
そして、あたしは最近色んなお友達や大人の人と話をしていて、気付きました。
「他人は、書き割りの裏側がどうなってるか教えてくれる」って。
あたしが書き割りのこっち側を見ているときに、同時にあなたは裏側を見ているんです。
(あなたにとってはあたし側が『裏側』になってるんですが。)
会話をして、会話をして、あたしが知らなかったことをたくさん教えてくれるんです!
ひとつの事を同時に見ていても、違う感想が出てくる。
あたし側の世界の言葉、あなた側の世界の言葉。
あたしが知っている言葉、あなたが知っている言葉。
それらが混ざり合ったとき、新しい景色が見えてくるんです!
すごいよね!そうやってまたあたしの世界が広がるんです。
そういう考え方、そういう見方、そういう言い方。
全て今まであたしが知らなかったことです。
あなたが見てきたこと、考えてきたこと、感じてきたこと、全部あたしにとっては『書き割りの裏側』なんです。
だから、色んな人と色んな話がしたい。
知りたいのです。それは、嬉しいから。しあわせだと思うから。