11月28日は「いいにゃ!」の日

今日は色んなとこへ用足しに行きました。
サンデールームでお昼を食べました。
お友達のおウチに遊びに行きました。
…何か『都古ちゃんへ』みたいな文体だな。


久しぶりに細木数子の番組を見ました。
すごい久しぶりだなあ。何で見てなかったんだろ?お風呂の時間にぶつかってたのかな。
で、何か「もういいや〜」って感じでした。
あたしは昨年〜今年にかけて、ちょっと(かなり?結構??)信じてたのだけど、今はもう「どうでもいいや〜」
って感じです。
約一年間、本とか見ていて「ほとんど当たってない…」って感じたからです。
本とか、一ヵ月ごとに書いてあったりするんだけど、一ヶ月が30日とか31日もあれば、書いてある事と似たような
事が1日とか1回くらいあってもおかしくないよね。
しかも、そういう「信じ」モードのときって、ハズれたことって無視するんですよね、不思議なことに。
で、番組を見て。
ちょっと前から思っていたんだけど、あの人、同じ番組で「道徳」とか「所作」とかも説くよね。
そういう「人の道」とか「お行儀」とかって、何もあの人が創始者な訳ではなく、昔から続いている「知恵」とか
「習慣」「礼儀」のようなものだと思うのです。
「ご先祖様を大切にしなさい」「親を大切にしなさい」「美しく見える女性らしい仕草とは」とかいう事柄って
いうのはもうスタンダードなことな訳です。
それに対してあまり異論を唱える人って殆ど居ないと思うのです。
そのような『間違いなく正しいこと』を言うと、それを言っている人も『間違いなく正しい人』という錯覚に
陥ってしまうような気がします。
『古来より続くスタンダードを説く人』と『その人の占いが正しい』ということは、イコールではないです。
マスコミの見せ方だと思います。
これらを同時に見せることで、見ている側は「占い」も正しいことのように錯覚する。そういう戦略です。
道徳などを説いている時には、静かで重い感じの曲をかぶせる。
もう『見せ方』なんです。トリックです。


あたしはそう思いました。
『あたしはそう思いました』ただそれだけです。
あたしにはこの人の占いは当たってないんだな、って、それだけです。
「この人の言ってることは全部ウソだ!」なんて言うつもりは全然ありません。
「あの人の言う事は100%。それを信じられないなんて可哀想な人。」って思われても、あたしは構いません。
信じていらっしゃる方はたくさん居ると思うし、その人たちの事をどうこう言うつもりもありません。
全くの私見です。
もしかして個人でみて貰うのだったらもっと当たっているのかも知れませんし。
それならば、対面のみに絞ればよいと思う。
どうしても大雑把に見えてしまう書籍という媒体で、あたしみたいな人に「当たってない」なんて言われない
ように。
ただ、「伝え方」「受け取り方」で、情報というものにはどちらの主観も入っているということ、真実を見つける
のはすごく大変なんだ、っていうことです。
それから、「道徳」や「礼儀」を説いている同じ口で、初対面の人に「バカ」とか「死ぬよ」って言い放つ人が、
果たして尊敬すべき立派な人なのかどうか、っていうことです。