ひとのあいだで

昨日の日記について、励ましのメールをいただいたりしました。
ほんとうに、あたしはステキな人たちに囲まれて、生きることができてる。
それは、あたしの味方をしてくれるから、っていうだけじゃない。
ちゃんと叱ってくれるお友達も居る。
こっちだよって導いてくれるお友達も居る。
大人の世界のこと(冠婚葬祭の事とか)は、親戚のおばさんや友達のうちのおばさんが教えてくれる。
誰かがっていうんじゃない。みんなが居てくれるおかげで、あたし生きていける。


ああいう内容の日記をこういう形での公開の仕方をしているということ、どんな反応も覚悟しています。
もしかして励ましてくれる人も居ると思う。そのくらいのことで苦労してると思うなっていう人も居ると思う。
何かね、「書きすぎちゃったかな。」っていうのは思いました。
だけど、そう書くことを「選択」したことを、無かったことにはしたくない。
昨日の日記を削除したり、読めなくしたりすることは、一番大事な時期のあたしを消しちゃうのと同じだから。
あたしは、自分が見ている世界が全てではないっていうことを言いたかった。
あたしがああいう状況になって、「大変なのはあなただけじゃないんだよ、どんな家でもみんな大変なことが
あるんだよ。」って、色々話をしてくれた大人のひとも居た。
以前の勤め先の職業は、家庭の内情のようなものも一部だけど垣間見えてしまうところもあったので、
ずいぶん若い頃から「人は表向きとは違う」ことを知っているつもりでした。
去年はね、そういうことの理解が深まったと思えるのです。
だから誰かを見ても、もう「何かあの人、気楽に暮らしてそうだなあ。」なんて絶対に思えない。
苦労してない人なんて居ない。
今までに悲しい想いを抱えなかった人なんて居ない。
でもね、みんなね、そういうの隠して生きていきたいのだ、って思う。
少なくとも、あたしはそう思う。
みんなみんな暗い顔してうつむいて暮らしていたら、世界はため息で曇ってしまう。
あたしの不安は消えてない。乗り越えられるのかどうかも、わからない。
この先どうなってしまうのか、全然わからない。
でも、あたしは、励ましてもらえて良かった。
これからもね、みんなと笑ってお話出来そうです。