ねじ込むんなら 押し込むんだぜ

一生懸命歩いてるロッシーニ、だいすき!
カワイイカワイイ。
何かを探して歩いているのかな?
まだ子亀さんだからいたいけな感じもするんだけど、時々「物知り顔」なときもあるのです。
爬虫類だし、同じところをぐるぐる歩いてるとこなんか「おばかさんなのかな…?」って思うこともあるんだけど、
すごく肝がすわってるときもあって、考えさせられる。
ゾウガメの、すごく長生き(100年とか150年とか)してるのの、顔見たことあります?
もうもう何でも承知してるって顔。
何もかも知ってるみたい。しかも優しいの。悟ってる、きっと。話が出来たらいいのにね。


昨日のお話。
お友達と、映画を観ました。
地元の単館系の映画館でやってる『ダーウィンの悪夢』(http://www.darwin-movie.jp/)です。
今、渋谷のシネマライズでも上映してて、雑誌とか新聞、テレビでもすごく話題のドキュメンタリーです。
普段は田舎の映画館なのでこちらで上映する頃には、もうちょっとでDVDになるから…みたいな感じが多いの
だけど、今回はすごく無理を言ってフィルムをまわしてもらったそうです。
だから、何かそんなリアルタイム感もあったりっていうのも興味が沸いたひとつだし、あと本当に色んなところで
この映画のことを目にしていました。
これは…どういう映画だって、書くの難しいなぁ…。
アフリカのあるとても大きな湖、「ダーウィンの箱庭」と呼ばれるほど多様な生物が生息しているヴィクトリア湖
に放たれた、ナイルパーチという肉食性の魚が生み出す悲劇。
その悲劇が、余りにも多岐に渡ってしまっていて、もう収拾がつかない。
ナイルパーチ産業の生む貧富の差はもちろん、ストリートチルドレンエイズ、果ては武器の密輸(=アフリカ内戦
の助長)まで…。
思ったのは、ひとつのものごとに対して、ひとつのものごとが繋がっているわけでは決して無いということ。
1対1のこともあるけど、大概のことは1対2、1対10、1対100のことだってある。
何が引き金になっているのか、わからないということ。始まりは、ほんのささいなことが多いということ。
この映画を観た人ほとんどが思うことかもしれないけど、「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」「こんなの
自分では何の手立てもない」
これはねぇ、一気にカタをつけられるような問題じゃない。
人員をどーーっと現地に送ったり、パッと多額の資金を援助すればいいっていう、単純な話じゃないです、多分。
色んな問題点で、同時に、少しずつ時間をかけてやっていかないとダメなんだと思う。
この現状は「悪いバランス」が取れてしまっているんだと思う。
だからそれを良くしていくには、「どれかひとつの問題から」ではそのバランスが崩れて、今よりもっと酷いこと
になってしまいかねない。
全ての問題の外堀からほんの少しずつでも埋めていって、バランスをとりながらやってかないといけないと思う。
そうは思っても、あたしには何をどうすればいいのか、全くわからない。
あたしに何か出来ることがあるのかさえわからないくらい、酷い現状なのだ。
今まで見てきた「困ったこと」の事例って、募金に協力したり、物品を送ったり、そういった方法がすぐに見つか
っていた気がする。
だけど、これはほんとに参った。手が見つからない。
鑑賞後の気持ちをひとことで表すとしたら『無力』だ。
何が起こっているのかはわかった。だけど、手も足も出ない。どうしよう。
こういうことが起こっている、ということを、この映画を通して「知ることが出来た」っていうことでも光明と
思っていくしかない。
映画の演出も良かった。撮り手の「主観」がほとんど感じられなかったおかげで、起こっていることの現状が
そのまま伝わった。
報道とも違う、こういうのがドキュメンタリーというんだなって思った。
映画が終わって、映画館の総支配人の方と、理事をされている方によるスクリーントークがありました。
個人的には、先進国において日本でエイズ感染者が爆発的に増えない理由の話がおもしろかったです。


映画の後、お友達とお食事したり、お買い物したり、いっぱい色んなお話をしました。
ていうか、あたしがすごいいっぱい話を聞いてもらった!!
お友達はあたしより年下なんだけど、達観している感じがして、あたしはいつも甘えて色んな話をしてしまうのです。
とっても感謝しているのです。
楽しくて、それに色んな想いがごちゃまぜになった一日でした。