can i ask you something ?

さっき、「うう〜〜」って、サイレンの音が聞こえた。
近くで火事になってると、サイレンの音でみんなに知らせる。
この音、うんとやだ。
悲しい思いをしている人が居るのかと思うと。
真冬の真夜中、焼け出されている人が居るのかと思うと。
少ししか焼けてなければいいのだけど。
救急車の音もやだ。
苦しい思いをしている人が居るのかと思うと。
あたしは3回、救急車に乗ったことがある。
一度目はお父さんが死んだとき。
「一緒に乗ってください」と言われ、乗ったけど、「もう死んでしまってるんじゃないかな」って思ってた。
もうね、多分ね。
即死だったと思うから。
「痛い!」って思う間もなく、魂はお父さんの体を抜けてったに違いない。
あたしは、こっそり、そんなお父さんの死を羨ましくも思うのだ。
死ぬまでに、痛かったり、苦しかったりするのはいやだ。怖い。
それを超えたときに、「生」ではなく「死」しかないのだと知ったとき、こころはばらばらになってしまいそう。
そういう思いが無いまま、いつの間にか死んでいたい。
救急車。
2回目と3回目はお母さんの具合が悪くなったとき。
救急車を呼ぶのもいやだ。
何だか冷静で対応する自分がいやだ。
いちばんいやなのは、救急車には窓が無くて暗いし、すごく揺れるから、酔うのがいやだ。


昨日夕方、浦沢直樹をフューチャーした番組の再放送をやっていた。
「ああ、浦沢直樹という人間なんだな。」って思った。
オリジナルな人だな、っていう意味。
人の持っている人格、性格、オリジナルな人ってどれだけいるだろう。
あたしも含め、たいがい似たか寄ったかなんだよね。
奇抜な行動をとったり、おかしな考えを持つだけでは、全然ダメだっていうのは当然わかってると思う。
一時的に人を驚かしているようでは、全く到達していない。
そういうのではなく…すみません、眠くて、それに文章力がついてこれてません。
あ、あたしの目標は、かたちにならない自分の中の「もやもや」を明確な「言葉」にすることです。
絶対、100%、言葉に出来ると確信しているし、しないといけないと思う。
例えば自分の中の「もやもや」を、そのまま「もやもや」としてキャンバスに描くようでは、説得力は
まるで無いのと同じように。
ダリみたいに、明確な色使いで、バランスよく、センスよく、人が観たときにおかしな違和感がないように。
観て、読んで、心地悪い違和感があるのは、良くない絵、良くない文章。センスが悪いの。
全然ね、まだまだ技術が足りてません。追いつけ!
あたしの経験の、思想の、脳みその全てを「言葉」にするまで、あたしは死なない。絶対。
浦沢直樹が言っていた、脳みそから右手に直接来る、みたいな感覚は、わかる気がする。
こんな場末の日記を書いているときでも、そういうときがあるのです。
タイピングがついてこれない感じ。もどかしくて、涙が出てくる。そんなとき。
あと、あたし、ちょっと嬉しいのは、
あたしは人の名前はもちろん、HNもやたらに日記に載せないようにしているのだけど(そういうの嫌がる人も
いるでしょ。人の考えはそれぞれ。相手を尊重しましょ。)そういった中でも、「これは誰々のことだよね?」
って聞かれることがある。
そしてたいがいそれは合ってる。
誰それのことを書くとき個人の特定が出来ないように、最大公約数的な言葉でおおまかな表現で書いている
のだけど、書いているときはそのひとのことを考えて書く。
もしかしてあたしの文章が稚拙だから、そういう風にオブラートに何重にも包んで書いても「わかるよ〜」
ってなっちゃうのかも知れないんだけど、
パソコンとか携帯(携帯でも見ていただいている方、ありがとうございます!!)の画面から、そういう
「雰囲気の湯気」みたいなのが立ち上って、それでそういう風に感じ取ってくれてるといいな、と思うのです。
それって、思いが伝わっているみたい。
いい本は、みんなそうだと思う。
活字から、行間から、湯気が立ち上っているよう。そして読み手は想像する。
あたし、そんな文を書きたいと思っているのです。
それと、誤字脱字はすごく注意しています。
あたしもすごくたま〜に(一ヶ月に1つとかそのくらい)しちゃうのだけど、これはほんと気をつけないとね。
ていうか、自分から出たものに責任もちなさいよ、って感じだもん。
誤字脱字の多いのは、文章が上手いとかそういうの以前の問題だよね。人として、注意が足り無すぎる。
誤字脱字が無くて、湯気の立つ文を、綴れていけたら、あたしはどんなにしあわせだろうと思うのです。