今日のあたしは 昨日とはちがうあたし

ジャーン!
今日はあたしのお誕生日!
31歳です!ウレシイナ。ふふふ。目出鯛目出鯛。
まずはここまで死なずに生きてこれた奇跡に感謝します。
神様、ご先祖様、お父さん、お母さん、お友達、ロッシーニ、親戚、近所の皆さん…ついでに学校や塾の先生。
本当にどうもありがとうございます。
来年も、こうやって元気に日記を書いていますように…。
年をとるなんてちっともコワくないよ!
去年のあたしより、今年のあたしの方がずっと色んなことが出来るようになってるし、わかってきてるんだもん。
だから今年のあたしより来年のあたしの方が絶対良くなってるハズ!どんどん良くなってゆくの。
衰えることなんてない。死ぬまで成長するんだよ!
これからどんなあたしになるのかな。どんな生活になるのかな。
そう考えてみて、年をとるってすごく楽しみ!


今日はあたしの誕生日にふさわしく(!?)とってもあったかで良いお天気。
別になんてことのないいちにち。
お洗濯したり、ろっちゃんのケージの掃除もしてあげたな。
一日家に居て、ろっちゃんにいっぱい散歩&日向ぼっこさせてあげたヨ。はやく大きくおなり〜。
あ、折角だから美味しいお酒でも買って夕食後にでもいただけば良かったかしら。まぁいっか。


オーラの泉』を見て。
「『オーラの泉』みたいなことを信じない人はそれでもいい、辛い思いや悲しい思いをしてる人はわかってくれてる
から。」みたいなことを言ってた。
「辛い思いや悲しい思いをしてる人でも『オーラの泉』キライな人居ると思うけどなぁ…」って思った。
何かね、「『ちょっとづつ』でいいんじゃない?」って思った。
あたしは細木数子の番組もオーラも見てるけど、どっちも「あ、良いこと言ってる!」って思うこともあるし、
「ええ〜、それはちょっとなぁ…。」って思うこともあります。
キリスト教関連の本を読んで「良いなぁ」って思うこともあるし、仏教の話を聞いて「良いなぁ」って思うことも
あります。逆ももちろんあるよ。「これはちょっと極論すぎるなぁ」とかね。
自分が「良いなぁ」って思うところを『ちょっとづつ』いただいていけば良いのではないかしら。
「これ、ほんとは良いことだと思うけど、本来あたしが心酔してるものと真逆にあるものの考えだから、却下。」
みたいなのって、ちょっともったいない気がするんだよね。
本当はそういうの、宗教とか思想とかの観点からだと余りよろしくないのだと思うのだけど、あたしは宗教家でも
思想家でもないので、そやってこの世の色んな良いとこをいただいて生きてゆきたいと思うのです。
人間も、色んな気持ちで出来てるよね。
例えばあたしが「あの人ワガママ!キライ!」って思っても、その人は100%ワガママで出来てる訳じゃない。
ワガママだけど優しいかも知れない。意外と面倒見が良いのかも知れない。
色んな組み合わせで人間て出来てるから、良いところを見出して付き合っていきたい。
良いところがあるのかも知れないのに、自分側の世界から見た印象だけで決め付けて悪いレッテルを貼ってしまう
のはもったいないと思うのです。
自分が知りたいことを知ってる人かも知れない。共通の話題があるかも知れない。
人間は、白黒で出来てるわけじゃない。
あたしはその人のことを優しいから好きだと思っても、違う人はイジワルだから嫌いだと思ってるかも知れない。
あたしはその人のイジワルなとこを知らないし、違う人はその人の優しいところをきっと知らない。
だからその人の印象や評価っていうのも、人それぞれなんだよね。
だからおもしろいんだよね!
…なんて、あたし、カッコイイこと言ってますね。
そうは言ってもあたしが誰とでも仲良くするのは不可能だし、キライだとかヤな人だとかって思うと思う。
色々考えて思うのは「自分が友達を選んでいると思っているけど、友達だって仲良くする人を選んでいる」ってこと。
友達を選り好みしてるということは、友達にも選り好みされてるってことです。
ちょっとイヤになったからってズバズバ関係を切って自分が上だとかって思ってる人は、自分もいつでもそういう風
にズッパリ切られてしまう(=いつ縁を切られても仕方のない人間関係しか構築できてない)ってことです。
自分でそういうことやってるんだもん。文句は言えないよね。自業自得ってやつですよ。
あたしは…ひとのこころの中まではわからないから…でも出来るだけ仲良くしていきたいと願っています。
そういうの、損得じゃないんだもんね。
仲良くしてくれて、嬉しい!って純粋に思うのです。


ていうか、いつ『マリー・アントワネット』の話になるんだか…(泣)。次回かな!?