悲しいこと 哀しいこと

かなしい。会えなかったことに。
でも、きっといつか会えるよね。


昨日の続き。
福島の子、マリリン・マンソンのCDジャケが全身白塗りのがあるだとか、PVで白塗りの腕が出てくるとか、あの子の
部屋から殺人に関する本が押収されたとか。
またそんな!
だから何なんだよ。
例えばあたしが前例に無いくらいの猟奇的殺人を犯したとすると、きっと同じように言われるに違いないよ。
あたしの部屋から『フリージア』(松本次郎のマンガね)とか見つけて「銃で撃ち合う残酷なマンガを所持」だとか
ガンスリンガーガール』(国の任務で、訓練された少女が無表情でテロリストを銃殺するというマンガね)とか
見つけて「同性愛・小児性愛の傾向有り?テロリストにも興味があった様子」だとか言われちゃうんだよ。
(同性愛の傾向も小児性愛の傾向も無いです、あたし。)
TSUTAYAのレンタル履歴とかだって、レクター博士シリーズ(『羊たちの沈黙』の一連のシリーズね)だとか、
オーメン』だとかの履歴をフューチャーされて、問題視されちゃうんでしょ。
あたしの本棚には、他にも『ハルチン』(魚喃キリコのマンガね)とか『とんまつりJAPAN』(みうらじゅん著ね)
みたいなほのぼの(?)した本も持ってるっていうことは完全に無視されるんでしょ。
レンタル履歴も、『ハウルと動く城』とか『グッド・ウィル・ハンティング』とかのイイ話だっていっぱい借りてる
のに、そういうのは無視なんでしょ。
殺人に関する本が3冊あったからって、それを重要視するの、ヘンだよ。
彼の部屋にあったっていうのは、そんなもんじゃんなくてめちゃめちゃハードコアな部類の本だったかも知れない。
でも、殺人を扱った本ならあたしの部屋にだってあるんだよ。
猟奇的な映画だって観てるんだよ。
だけどあたしは猟奇的殺人を犯していない。
もしかして、万が一にも犯すかもしれない。生きている限り、可能性はゼロではない。
紙一重なんだよ。
こういうの、きっと世界中でいくらでも居ると思うよ。
で、ほとんどの人は猟奇的な事件なんて起こさずに日々暮らしてる。
事件の原因は、ビースティでも、マリリン・マンソンでも、殺人の本でもないんだよ。
なのにそういうのをやたらにフューチャーするメディアはヘンだと思う。


固結びされてしまった心を解き放とうと願うのは、今じゃないし、その担い手はメディアじゃない。
大事なのは、殺人の本じゃないんだよ、きっと。
そのとなりに並んでたであろう「それ以外の本」なんだよ。
歪んだ部分だけを見つけて、それを全てだと思わないで。
ダークなものを『悪』と決め付けて、それだけを注視してたら何も見えない。
まずは、本棚全体を見ようよ。