悲しみの本質


今日は、いつも仲良くしていただいてるお友達のご家族の、告別式に参列してきました。
まだとても若く(あたしよりも年下)、ご家庭もお持ちの方でした。
長く病んでいらしたようです。


前途ある若者の死は悲しみしか感じません。
我が子に先立たれた御尊父様、御母堂様の悲しみは察して余りあります。
色々みてきて、あたしが思うこと、最終的に最大の親孝行は親のお葬式をあげてあげることではないかと。
故人のお友達もたくさん参列していて、若い人のお葬式は本当に悲しいと思いました。


あたしは、若い人のお葬式に参列したことの記憶がありません。
今回が初めてだと思います。
お友達で亡くなった人もまだいません。
若い人のお葬式は本当に悲しいと思った。


あたしは時々、お友達が亡くなってしまったらどうしようとぼんやり考えます。
あたしは基本、人前で泣くのを良しとしていないのですが、葬儀の間じゅう、泣いている
んじゃないかと思った。
喪失感に耐えられるかどうか。
親族の死と全然違うんだろうなと思った。
あたしの場合は、親族だと生きているときよりももっと近くなった気がするんだよね。
(肉体がなくなった分、精神がちかくに寄り添ってくれてる気がします。)
だけど、お友達の場合は、うんとうんと遠くに行ってしまう感じがする…。
わからないのだけど。


生まれたその時から、いつでも死は隣り合わせなのだ。
死なない人はいない。
だけど大体の人はそういうことを忘れて生きてる。
あたしもそうだけど。
でもいつも『死』を考えては善行ばかりの聖人君子ではいられない。
それでいいと、あたしは思うんだ。
人は疲れるし、賢いけど、間違うから。