代わりにはならない


『何かの代わり』って本当にあるんだろうか、と考えたんです。
そんなのは無いんじゃないかって考えたんです。


よく例えで出てくるのは「ペットが○○の代わり」みたいなの。
○○の中には、
同居人、とか
恋人、とか
子ども、とか
家族、とか
いろいろ入りますよね。


でも、動物と一緒に暮らしている人ならおわかりと思いますが、動物がそういったのの代わりには
なっていない。
動物の何かが足りない、っていうんじゃなくて、動物は何かの代わりじゃなくて、動物としての
役割であるから。
あたしは亀のろっちゃんと一緒に暮らしているけど、それはもちろんお母さんの代わりでもないし、
他の何かの代わりじゃない。
あたしは、亀が飼いたいと思ってペットショップに行って、そこでろっちゃんと目が合った。
あたしは、ろっちゃんがろっちゃんであるから、ウチに連れてこようと思ったのだ。
何かを埋めてもらおうと思って連れてきたんじゃない。
それは他の亀ではダメなんだろうし、他の何かがろっちゃんの代わりはできない。


動物に、何かの代わりになってもらおうとして失敗してしまった(死なせてしまった)人を知っている。
家族の代わり、自身の虚栄心の代わり。
一緒に暮らしていて、当初とズレが出てきたことに気が付いていただろうか。


初めはそんな風に思って同居を始めた人も居ると思う。
だけど、だんだん何かの代わりなんかではない、たったひとつのかけがえのない存在へと変わっていった
と思うんです。


動物だけじゃなくて、自分の周りの何もかもがそうなんだと思います。
目の前の人やものは、何かの代わりじゃない。
「何かの代わり」と思っていたことが、実はそれ自体が「何にも代えられない」ことになっているかも。


近くにいたい、そばにいてほしい、と思うのは、ただそれが『あなただから』ということだけなんです。
お友達でいてくれる人はたくさんいます。
だけどそのひとりひとりに代わりはいない。
理由なんて無い。
あたしは、『あなただから』仲良くしたいと思うんだ。