願いをかなえる


昨日の日記を読み返して反省した。
何であたしはもっと静かな日記が書けないんだろう。
静かな、落ち着いた日記が書きたい。
何かもうおかしい人だと思われちゃうじゃないですか。
「今更何を…」とか「もう思ってるww」とか言う人いると思うけど…。


あたしは本当は、もの静かな人なんだけど。
更に言うと極めて常識人。
この界隈で常識&ビジネスマナーテストやったら、トップクラスに入ると思う。
社会の歯車のひとつとして、きちんと機能しているつもりだ。
社会の歯車というものを、必ずしも良くないものとは思わない。
そうやって世渡りしている人はたくさん居るし(あたしもそのひとり)、処世術のひとつだと思っているから。
個性を生かしたい人はそうしたらいいと思う。
ただそれだけのこと。
良いとか悪いとかで判断することじゃないでしょ。
だから今の反・没個性的な教育には素直に賛成できない。
(そもそも、個性がある・ないってどういうこと??)


あたしはできれば波のある人生は送りたくない。
(ここ数年はちょっと大きな波がやってきてたけど。)
静かに暮らしたい。
まあ、そう願ってもそうはさせてはもらえないんだろうけど…。
たまにはね、大きく当てたいなあって思うこともあるけど、その代償を考えたらやっぱいいや…ってなります。


これだけは必ず言えること。
大きく当てれば、大きくハズれる。
それと、当たり続けることは絶対にないのだということ。
お金だけのことだけじゃないですよ(今日はリーマンの日だけどね…)。
思想とか、生き方のこと。
大きく当てようと願うのは人を呪うのと同義。
「いける!」と思った瞬間から、既にダークサイドに片足つっこんでる。
誰も錬金術師にはなれない。ゴミから黄金は決して生まれない。



仕事の帰り道、そんなことを考えながら歩いた。
もう秋だからね。
はやく落ち葉をさくさく踏みながら歩きたいな。
静かに暮らしたいけど、楽しく生きたいな、という願いが今日の日記です。